もしも重ねの大合唱
リア充になりたいです。
最近いろんなあやしい飲み会に参加してリア充を観察しているんですが、あることに気が付きました。
それは、リア充の会話にかなりの頻度で現れる、「もしも重ねの大合唱」です。あっこれ、今、私が名付けました。
これはひと言では説明できないので、以下に例文を提示します。
リア充A「あー、仕事めんどくせー」
リア充B「あっ、明日月曜日か。っざけんなよー」
リア充A「あー、毎日が日曜日だったらなー」(もしも1)
リア充B「だよなー、俺、毎日サーフィンするし」
リア充A「で、毎日100万口座に振り込んであんの」(もしも2)
リア充B「それやばくねえ? で、むしゃばろうんちんごみゃしっく...」
あっ、止めます。よく考えたら私はリア充じゃないので、こんなん再現できません。
要は、会話の中で急に「もしも」の話がでて、その「もしも」が積み重ねあげられていく現象です。(あっ説明できた!)
私の正体はそれをぶさいくなぎこちない笑顔で見守る側のひとなのです。なのです。
あの発想が全く思い浮かばないし、全然おもしろく感じないんです。
あれはリア充たちが無意識に自身の仲間を見つけだすために行うリア充同士の求愛行動だと勝手に思ってます。
でも、かなしいかなリア充になりたいんです。
忘年会、新年会、歓迎会、お花見の季節になると多くのグループが駅前や居酒屋にたむろしています。それを見かけると、つい仲間はずれを探してしまいます。
あっ、あのひとひとり違和感がある。愉しそうじゃない。ぎこちない。ノリキレテナイ。
これはもうリア充じゃない私にはすぐに分かります。確認するわけじゃないので、思い込みかもしれませんが。
っと、論点がズレました。「もしも重ねの大合唱」(以下:儀式)についてもう少し掘り下げましょう。
儀式にはルールがつきものです。この儀式ででいちばん難しいルールは、もしものレベルの上げ方です。
例えば、上記の会話では「毎日が日曜日だったらなー」がもしもレベル1として始まっています。この場合は次にもしもレベル2ないし3くらいまでの上げ幅しか認められていません。例えば「毎日が誕生日だったらなー」とか「毎日が地球最期の日だったらなー」とか飛躍させ過ぎ、会話繋がらなさ過ぎで、即却下のルール違反です。リア充にぷいっとそっぽを向かれることでしょう。ちなみに私はこれがこわくて絶妙な「もしも」が思い浮かんでも入っていけません。
そしてみるみる膨れ上がるもしもタワーにただただ圧倒されるのです。
これは長縄跳びにも少し似ています。タイミングを外してしまい、ただただリア充2名がぶん回す縄跳びを放心状態で見守るわけです。あっそういえば、リア充は総じて長縄跳びうまかった気がします。
思えば小学生のときはなんでも出席番号順でした。出席番号の順番が回ってくるまでに心の準備をすれば良かったんです。でも、社会にでるといつ順番がくるか分かりませんし、誰も待ってくれません。周りのひとがどんどん長縄跳びに入っていくなかで、いつの間にか参加することもそれをただ見ていることさえも許されず取り残されていく。。。
そんな社会で、あなたは今日も上手に跳べていますか?