ある日ある時突然に

この記事ははじめTwitterに投稿するつもりでしたためたので、文章の区切りがツイッターみたいになってます。読みづらいです。で、少し長いです。12ツイート分くらいです。まあ気が向いたら読んで下さい。



あのですね。2週間ほど前に父が喉を痛めて、吐血したんです。で、病院に駆け込みCTを撮ったら腫瘍が見えると医師から言われたんです。ほぼ喉頭がんだろう...と。それで、生検して、その診断結果がでるまで診断結果を待つことになりました。

で、いろいろ考えたんです。えーそんな急に言われてもさーって。喉頭がんについていっぱい検索しました。マイナーな癌みたいなんです。でも、最悪、声帯切除らしいんです。つんく♂さんも患ってます。父、タバコ吸いません。お酒も人並みです。歌も歌いません。でもだったらなんで? なんで?

でも、なにもできません。なにもできないので前から予定していた3Dドラえもんを観に行きました。観ている間になんでこんなの観てるんだろうと思いました。あっ、父は単身赴任なんです。ひとりでうじうじ悩んでるんです、たぶん。苦しんでるんです。でも自分はドラえもん。しかも少し感動しちゃってる。

映画の帰りに本屋で「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」を買いました。以前WEB版で読んでいたんですけど、「感傷に浸ってる自分」を自分に演出したかったんだと思います。ドラえもん3D観ちゃったし。でも、そんなこと演じてもなんにもできないし、診断結果待つしかないなーっと。


その日、家に着いて家族写真とか飾ってるんです。父にっこりしてるんです。もう見たくないんです。目を逸らすんです。これから診断があって、入院してって、まだたぶん生きるのに、もう終わりが見えてしまったかのように思えて。みじかな人の死はもう本当に絶望だと思いました。

で、もやもやを抱えたまま、先週の日曜に小学校の同級生との呑み会に行きました。すごく楽しかったんです。楽しんでる自分への背徳感みたいなのものはあるんですけど、その頃には中途半端に開き直ってました。それで、夜、父に電話するかもと言っていたのをすっぽかして、午前0時過ぎに帰宅しました。

家に着いてぼーっとしていて、ふと携帯をみると電池が切れてました。
そういえば帰りの電車でずっと寝てて一回も携帯見てないなーと思い、充電して、携帯の電源を入れると、父から着信履歴。あぁああー、でもだって「電話するかも」って言ったじゃん。「かも」だよ! かも!

しかもメールも来てるんです。そこには「仕事おつかれさま。あしたもがんばつて」とありました。だからもうさあああ! 仕事じゃないよ! ていうか今日日曜じゃんかと思いながら、なんだかもう無理でした。大きい「つ」がダメなんです。父を感ちゃいます。しかもメール受信時刻がついさっきなんです。

ずっと待ってたんですかね。それともねむれないのかな。家族写真の父と目が合いました。でもすぐ逸らしました。すぐ電話すればでるかもと思いながら、飲んで帰ったことの後ろめたさと、もう寝ていたら起こしちゃ悪いと都合のいい言い訳して眠りました。

一夜明けて、月曜日からはふつうに仕事です。意外にふつうです。でももやもやしていて、すっきりしません。父と同年代の人を見かけると、心が揺れます。もはや自分がまもなく癌宣告されるという心持ちです。診断結果は水曜日に判明します。生殺しってやつです。


火曜日、母が一緒に診断結果を聞くために父の単身赴任先に向かいました。喉頭がんに関するありとあらゆる資料の束を抱えて。
私はいよいよかー と思いながら、いつも通り仕事に行き、仕事をして、帰宅して、ぼーっとしてました。

診断結果でてないのにこんなに動揺してる自分って 笑 と少し思いました。でも、父は医師に「癌はほぼ間違いないけど、問題は転移ですね。リンパにももやが見えます」と言われたみたいです。そんな言い方する医者も医者ですけど、じゃあ癌だなーと。 問題は進行状況です。こればかりはふたを開けてみないと分かりません。

状況によっては毎日病院通いかーとぼんやり思いました。少し冷静になってきてました。でも、そういえば、兄にもうすぐ子どもが産まれるんです。父にとっては初孫なんです。仕事もあと一年で定年です。昨年、「雇われ」だけど社長になったって嬉しそうに言っていて、楽しそうに働いてます。あと、昨年還暦を迎えたのに髪がふっさふさなんです。これから抗がん剤で抜けていってしまうのかなーとか考えるともうやるせなくて切なくて。って、これ誰に言ってるんですかね、本当に。

あと一年。どうして、あと一年遅くなかったんだろう。
あと一年遅ければいろいろ区切りが良くて、諦めもついて治療に専念もできたのに。でも、きっといつなっても「あと一年」なんでしょうね。でも、あと一年っと強く思いました。で、父が帰ってきたときに手を合わせるあやしい神様に手を合わせました。「なにもありませんように」


水曜日になりました。もちろんふつうに仕事行きます。仕事します。でも、携帯が気になります。母は診断結果が判明した段階ですぐに連絡をくれるはずです。1時間に一回...30分に一回...と、次第に携帯を確認する頻度もあがります。そして15時を過ぎて確認。まだなにもない。もうこれ以降は逆に確認出来なくなりました。だって時間が経つにつれて、連絡がくる確率が高くなるじゃないですか。確定するじゃないですか。戦いが始まるじゃないですか。

18時になりました。もう携帯確認しよう。このとき、なぜか希望の方が割合が大きかったです。画面をみます。LINEきてる。こんなのLINEで送る、ふつうと思いながら、でもだったらなにで送るんだろうとか思いまながらLINEを開いたら


「腫瘍は消えてた。たすかつた」


大きい「つ」! えっ、それよりホントに? えっ? なに消えるって。えっ? そんなのって...奇跡じゃん!

無性に誰かに喜びを伝えたいけど、もうみんな帰ってました。なので、ひとり、まいったなーって感じを演出しつつトイレに駆け込みました。
トイレの個室でガッツポーズ! 声にならならい声でやったーーーーーーーーーーーー! ざまああみろぉぉ! と叫びました。トイレでどたどたじたばたしました。父が手を合わせてるあやしい神様にありがとうって言いました。もやもやがすーっと晴れました。



追記
今回のことで診断結果を待っている間「〜すれば、いい結果になるかもしれない」とか本気で考えたりしてました。まあなにもしなかったんですけどね。父も甲子園で大阪桐蔭が勝ち進めば奇跡が起こるとか思ってたみたいです。大阪桐蔭が勝ち進む可能性の方が全然高いのに。(優勝したし)よくある「ここからゴミ投げてゴミ箱に入れば告白成功する」的なやつです。で、たとえゴミ外しても結果が出るまでは、9回2アウト裏8点差逆転みたいなことをどうしても信じちゃいます。

絶望さんはいつも隣近所に住んでます。引越ししたと思ってもやっぱり常に近くに居ます。行動範囲狭いんです。で、ときどきドアをノックします。のぞき穴を確認して、あっこれはもしやと思い、「ちょっとまってて〜」って言いますけど、土足でずかずか入り込んできます。

そんなときやっぱり「あのとき〜していれば」って思ったり、ほんの少し前までの幸せを噛みしめたりするものなんだと思います。なにしていてもこれはそうなるもんなんだと思います。心の準備なんて出来ません。だから「そうなったら精いっぱいじたばたする」しかないんだと思いました。

ひとは絶対死にます。そんなの当たり前でニュースでいつも目にしてるのに、自分とその周りのひとは大丈夫だって、無根拠に思ってしまいがちです。でも、それって幸せだと思います。
生きてる間にどれだけ死を意識しないでいられたかが、幸せの尺度のひとつだと思います。
だから、またこんなことが起こるまで、全部忘れて、再びこんな状況になったときにやっぱり「あのときもっと〜していれば」って後悔するんだろうなーと思いました。おわり。